自動運転とアルバム

3月20日 雨

 

今週は週末までずっと雨だそうだ。

一人暮らしを始めて一番困ったのは以外にも洗濯だった。

乾かない。本当に乾かない。

物干しの位置が低すぎて風が入ってこないのだろう。

業を煮やしてサーキュレーターを購入した。梅雨が思いやられる。

 

今日は仕事で県外へ。

もう何度も来た道なので、不安もなく高速を飛ばす。

道中、二か所ほど事故が発生していたと、交通ニュースで聞いていたが、僕らが通るころにはもう何の痕跡もなかった。

 

自動車の自動運転の事故がアメリカであったらしい。

この先、人手不足で自動運転なしでは物流は成り立たないそうだ(あるいは外国人労働者をドライバーとして雇うか。こっちの方が不安は大きいとのこと。交通マナー・文化の差が大きいだろうし)

中央管制になれば、異常が起こらない限り渋滞もなく滞りのない円滑な交通網が出来上がるだろう。

もしかすると、一人一人が所有するものから、公共交通機関的なものに近づくのかもしれない。

文字通りの自動車。辞書を書き換えなきゃなくなるかも。

鉄道、バスも疲弊しきって、廃止路線が増えている。僕の地元でもつい最近大手バス会社がニュースになった。

仕事の同業の方が言っていた、「運転する楽しみ」が、サーキットに行かなければ享受出来なくなったりするのだろうか。

 

音楽アルバムについてyahooニュースにあった。

https://forbesjapan.com/articles/detail/20205

アルバム時代の終焉というタイトル。アップルがLPサービス(クレジットやアートワークが見られる)を終了するというところから記事は始まっていた。

 

正直気に入らないなとは思う。

音楽をビジネスとでしか見てないような書き方だったからだ。一方的な。

記事ではミュージシャン・アーティストを「生産者」、リスナーを「消費者」としか捉えていない。

そこに表現者の思いや熱量は全く汲み取られていないようだ。

それぞれが思いをどう形に作り上げるかであって、もちろん活動していくには売れた方がよいに決まってるけど、きっとそれだけじゃない。

もちろん音楽なんか個人の好きに楽しめるものだから、アルバムを通して聴くのと好きな曲一曲一曲バラバラに聴くのとで優劣があるわけじゃない。

でもアルバムという形でなければ表現できないこと、一曲目と最後の曲が繋がって一本の輪になるような、そんな作品は沢山あるし、これからも生まれるだろうし。

個人的にはアルバムという形式が(アナログやCDやカセット)が、ストリーミングやyoutubeやダウンロードと比べて古くて劣っているとかではなく、いろんな音楽の聴き方があるから、そこの選択肢を狭めて欲しくないと思う。

 

何を言いたいのか自分でもまとめられない。

もっと上手く思いを伝えられるようになりたい。

そのためにも少しづづ続けていきたい。毎日。これから。

 

雨でできた水たまり。タイヤが跳ねあげるしぶきが行きかう数少ない人々を汚していく、地方都市。

派手な外車もラグジュアリーなワゴン車もスタイリッシュなSUVも古ぼけた軽自動車も何も違わない。ただ街を流れてすり減らすだけ。